「2月全落ち」の中学受験 声を上げて泣いた娘に母の反省と教訓
小学校を卒業し、わずか12歳で親元を離れた。想像していない未来だった。
森本薫さん(仮名、46歳)=東京都在住=の長女、中学2年生の美緒さん(仮名、13歳)は、西日本にある中高一貫校に進学し、寮生活を送る。
東京・神奈川で中学受験がスタートする2月1日を前に、予行演習として受験した「前受け校」の一つだ。「もう少し慎重に併願校を選べばよかった」。今も後悔が残る。【杉田寿子】
美緒さんは、負けず嫌いの性格で、学校のテストは常に満点。森本さんは、中学受験に向いていると思った。
受験勉強が本格化する小学3年の2月までに、公文式で小学6年までの国語と算数の教材を終わらせた。美緒さんに、中学受験を勧めると「やってみたい!」と笑顔で快諾し、大手受験塾に入塾。最初は3クラスのうち、一番下のクラスだったが、親子共に勉強のスイッチが入った。
父親がつきっきりで毎日、勉強をサポートした。
「宿題は終わらせているか」
「計算の途中式を省いていないか」
時に怒鳴り声も響いたが、テストの結果には叱らない、それまでの過程に重きを置く夫の姿勢に、薫さんは見守りながら、食事の準備などの裏方に徹した。
成績は順調に伸び、約1年かけて、一番上のクラスに上がった。5年生の後半になるとライバルたちと切磋琢磨(せっさたくま)する日々。成績が下がると、薫さんは「娘の成績は私の成績」と言い聞かせた。ボーナスをつぎ込んで、大手塾の勉強をサポートする個別指導塾に通わせた。美緒さんも嫌がることはなかった。
1月「前受け」は試験慣れが目的
東京・神奈川受験の「本番」を前にした1月受験。「滑り止めの星」と呼ばれ、受験生の多くが受ける「栄東」と、西日本にある中高一貫校を受験した。いずれも「試験慣れ」が目的で、自宅からの通学圏内ではなかった。「2月の本番でどこかは受かるだろうと、軽い気持ちで受けることにしました」
結果、2校から合格通知を受け取った。幸先よく受験がスタートし、美緒さんは準備万全の状態で2月の本番に挑んだ、はずだった。
2月本番、どとうの5日間
2月1日は午前と午後ともに塾の模試で、ギリギリ合格圏の「本命校」を受験した。「手応えがあったよ。お母さん、受かるかも!」。受験を終えた美緒さんから喜々として報告があり、薫さんも期待が持てた。
1日の合否発表を前に、2日はチャレンジ校を受験。過去問では最後まで合格点に達しなかったが、薫さん夫婦は美緒さんの「受けたい気持ち」を優先し、校門前で抱きしめて送り出した。
その試験中、森本さんは1日の午前受験の結果を知る。「不合格」だった。ショックだったが、美緒さんを動揺させないために黙っていた。合否結果はネット上で数時間のみ表示され、時間外は学校で確認するシステムだった。
チャレンジ校の試験を終えた美緒さんと合流した。そのころには、1日午前の結果は閲覧できない。
2日の午後受験に向け、レストランで昼食をとったところ、ちょうど1日の午後受験の結果がネットで発表された。
薫さん親子は、合否を確認するタイミングについて話し合っていなかった。そして、その場の流れで、確認してしまった。
携帯の画面に表示されたのは「不合格」。
美緒さんはレストランで泣き崩れた。なだめながら、なんとか午後の受験会場に送り出した。十分に合格の可能性がある「安全校」だったが、精神状態は最悪だった。
2日の晩、両親は事前に知っていた1日午前受験の「不合格」を告げる。再び、美緒さんは号泣した。
翌3日、午前中に発表があったチャレンジ校の結果も「不合格」だった。その午後、1回目は結果待ちだった「安全校」の2回目を受験した。
帰宅後、最悪な精神状態で受験した「安全校」の1回目も「不合格」という結果を目の当たりにする。
さらに4日にも「安全校」の3回目を、5日には「本命校」の3回目を受験した。「できる限り、受けられるだけ、最後まで受けました」。しかし、結果は無情にもすべて「不合格」。計7回の2月受験は「全落ち」した。
計7回の2月受験に「全落ち」…
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