不妊治療の最前線でみられる女性患者の若年化 その理由とは…
「結婚してまだ半年ですが、体外受精希望です。不妊治療を受けてでも、とにかく早く授かりたいんです」
東京都港区在住の女性会社員(34)は、医師にそう訴えました。
夫(36)とは友人の紹介で知り合い、2年の交際を経て結婚。生理は乱れず順調に来ているし、仕事も軌道に乗っている。しばらく2人で新婚生活を楽しみたいし、妊娠は自然に任せよう……。
当初は、そう考えていたといいます。
ところが、ニュースで不妊治療が保険適用になったと聞き、急に「卵子の老化」という単語が気になり始めます。
やがて「早めに妊活を始めた方がよいのではないか」と考えるようになり、不妊治療クリニックの門をたたいたのです。
最近、不妊治療に初診で訪れる女性の年齢が、以前に比べてずいぶん低くなってきていると感じています。
その背景には、年齢とともに妊娠しにくくなるという知識が定着したこと、加えて、不妊治療が保険適用になったことがあります。
急突貫で保険適用を進めた菅政権
2004年、不妊治療患者の経済的な負担を軽減すべく、体外受精や顕微授精などの高度不妊治療に対し、初めて公的な助成金制度が開始されました。
16年には初回助成金が増額され、さらには男性不妊治療に対する助成金制度が追加されます。当時の安倍晋三政権が掲げた「希望出生率1・8」(若い世代の結婚や出産の希望がかなった場合に想定される出生率)の実現に向け、子どもを産みたい人が産みやすくなるよう、さまざまな支援が行われました。
筆者は13年に、内閣府の「少子化危機突破タスクフォース」から情報提供を求められています。政府はかなり前から少子化に対する危機感を抱いており、不妊治療支援もさまざまな解決策の一つとして掲げられていたわけです。
こうした経緯を経て、22年当時の菅義偉政権は、少子化対策の一環として、高度不妊治療だけでなく人工授精などの一般不妊治療も含めて保険適用とすることを決定し、急突貫で実行に移したのです。
少子化の原因
そもそもなぜ、日本は「少子化大国」になったのでしょうか。
団塊世代の第1次ベビーブーム(1957年~59年生まれ)において、1学年に生まれた子どもの数260万人以上。その次の第2次ベビーブーム(71年~74年)には1学年に200万人以上が生まれており、本来であれば、続いて第3次ベビーブームがやってくるはずでした。
ところが、残念ながらその兆しは全く見られず、出生数は右肩下がりになっていきます。
厚生労働省の人口動態統計(概数)によれば2024年上半期(1~6月)の出生数は33万人弱で前年同期比6・3%減。このペースで進むと、今年1年間に生まれる日本人の子供は70万人を割り込む計算になります。
初めて100万人を割った16年からわずか8年余りで約30万人が減ったことになるのです。
理由についてはさまざまな議論がなされており、単純明快ではありませんが、晩婚化・晩産化が大きな要因となっていることに読者の皆さんも異論はないのではないでしょうか。
妊娠の方法を教えなかった日本の性教育
筆者は00年から医師として生殖医療に携っています。そこで、この間に不妊治療を受けた患者数と年齢層の推移をひもといてみます。
00年に日本国内で実施された高度不妊治療の件数は約6万件でした。助成金制度が始まる2004年には約12万件となり、その後、右肩上がりに増加。16~18年には約45万件に達し、ここでいったんピークとなります(グラフ参照)。
これまでの不妊治療患者は第2次ベビーブーム世代が中心でした。この世代の女性たちが、妊娠率が急激に低下する40歳前後から反復して治療を受け、45歳あたりで妊娠をあきらめ、治療を終結させていく――。
グラフから、このような状況が浮かび上がります。
背景に、何が考えられるでしょうか。これも数多くの議論があるところなので断定はできません。もちろん、「産まない」選択をする女性が増えたということもあるでしょう。
ただ、86年に男女雇用機会均等法が制定されたのを機に、キャリアを求め、仕事に打ち込む女性が増える一方で、妊娠・出産に関する教育(特に男性の意識改革!)が置き去りにされたという現実もあるのではないでしょうか。
筆者もまさに第2次ベビーブームに生まれ育ってきたので、そう思うのです。
その昔、保健体育の授業では、「性教育」と言えば「避妊の方法」ばかりを取り上げ、「どのようにすれば妊娠するのか」「いつ妊娠しにくくなるのか」といった、今でいう「プレコンセプションケア」の概念は教えてきませんでした。
寿命がいくら延びても、女性の社会進出が進んでも、生殖可能年齢は変わりません。女性たちが男性と同じ土俵で闘うため(または、女性に男性と同じ土俵で闘ってもらうため)、ライフプランを後回しにしてきてしまった(または、後回しにさせてきてしまった)。その結果として、晩婚化・晩産化が進んだという側面もあるのではないかと考えます。
保険適用のメリットとデメリット
不妊治療の保険適用化による最も良かった点を挙げるとすれば、「啓発効果」ではないかと思います。
保険適用によって、不妊が「疾患」として捉えられ、不妊の要因、生殖可能年齢、卵子は老化するという事実――これらの情報が格段に広がったように感じています。
先ほどのグラフを見ると、高度不妊治療の件数は、保険適用直前の21年以降、再び増加に転じています。
治療現場にいると、金銭的な問題で治療をあきらめた40代の女性たちが戻ってきたというよりは、35歳前後の比較的若い女性患者が増えてきていることが大きいように感じます。
保険適用前と比べ、自己負担が少なくて済むため、早いうちから体外受精を選択する患者さんも増えています。
一方で、保険適用には、実際に臨床に従事している立場からすると、大きな問題点があるのも事実です。
不妊治療はそもそもの1回(周期)当たりの成功率が低いため、他の病気と違って標準治療(専門家の間で「最善である」とコンセンサスを得られた治療法)が成り立ちにくいと言われています。
このため、ある程度予想はしていましたが、保険適用導入後、残念ながら専門医とは呼べない医師たちによる新規参入が増え、やみくもに数だけを繰り返す施設があるなど、玉石混交となってしまっているのです。
私たち不妊治療の医師は、単に子どもの数を増やすために存在しているわけではありません。また、患者さんも、少子化対策に貢献するために治療を頑張っているわけでもありません。
普段、不妊治療に携っていると、さまざまなカップルと話す機会があります。当たり前と思われているものが当たり前でないもどかしさ、望みがかなわずゴールの見えないマラソンを延々と走っているかのようなしんどさ。精神的にも肉体的にもつらいことが本当に多いのです。
不妊治療は決して強制されるものではなく、自身の人生を豊かなものにするための手段です。だからこそ、カップルでよく話し合ってほしいと思います。私たちも、お二人が納得のいく人生を歩めるよう、最良の案内人でありたいと思っています。