「自分と向き合う」卵子凍結 祖母の死で見えてきた母になる意味
「私にとっては、今を自分らしく生きるために、やったことだったのかもしれない」
東京都内に住む会社員の本多麻子さん(38)は、「卵子凍結」をそう振り返る。
母になるってどういうことなんだろう――。今まで人一倍、考えてきたように思う。母が病気でこの世を去ったのは、34歳という若さだった。麻子さんは当時4歳。祖母が母代わりとなり、自分を育ててくれた。
「人はいつ死ぬか分からないのだから、やりたいことをやらなくちゃ」。それが人生の軸になっている。
今を大切にしてきた20代~30代前半
新卒で、大手広告代理店に就職した。周りの人に恵まれて楽しい職場だったが、深夜までの残業が当たり前の生活。34歳の先輩が、仕事に追われる姿を見て思った。
「(母が亡くなったのと同じ)34歳まで、この生活をしている自分をイメージできない」
毎日を大切にしたい。3食きちんと食べて、しっかり寝て、自分や部屋を整えたい。仕事を理由に、やりたいことを諦めたくない。そう考えた麻子さんは、大企業を辞め、25歳で転職した。
派遣社員で収入が減り、ネイルサロン通いを減らした時期もあった。だが、その後も自分の人生に合わせて職を変え、八つ目となる今の仕事は、IT企業の営業職だ。
20代~30代前半は、恋愛や旅行など、「今、やりたいこと」を大切にしてきた。周囲が、結婚・出産をしても、日々の生活が充実していたので、焦りを感じることもなかった。
「子どもを産むという選択肢もあるかもしれないけど、『その時はその時だよね』という感じ。深く考えることは全然なかった」
祖母の死 見えてきた「母になること」
ターニングポイントは、36歳の時に訪れた祖母の死だ。
年を重ねて転倒するようになった祖母を心配し、麻子さんは1人暮らしをやめて、4年前から祖母と同居していた。体こそ年相応に弱っていたものの、頭はしっかりして、身の回りのことも自分でできた。
祖母の好みの味や、お風呂上がりに顔にはたく化粧水の匂い、きょとんとしたときの表情――。久しぶりに何の変哲もない日常を一緒に過ごしたことで、祖母をとても近くに感じる日々だった。
その死は、あっという間だった。ある夜、トイレに起きた祖母が転倒して、骨折。入院先で肺炎になり、1カ月後に亡くなった。91歳だった。
病室に寝泊まりして看病している時、祖母とのたくさんの思い出がよみがえった。
お菓子の袋はきちんとハサミで切って開ける。買い物メモを付箋に縦書きで書く。いずれも祖母の生活習慣だが、知らないうちに自分の習慣にもなっていた。
祖母の口癖は「前進」だった。その言葉が、今もこれからも麻子さんの背中を押してくれると勇気づけられた。
自分の中にちゃんと受け継がれている祖母の存在に気がついた麻子さん。最期をみとると、大切な役目を一つ終えたように感じた。
「おばあちゃんであり、母親代わりと思っていましたが、『本当の親子』になれた」
その死を境に、物心ついてから考え続けていた「母になること」の意味が、少し見えてきた。愛情をかけて、誰かを育てるという母親の仕事に、尊いという気持ちが生まれた。それはまさに祖母が麻子さんにしてくれたことだった。
これからの生き方「考える猶予がほしい」
「これからどう生きていこう」。久しぶりの1人暮らしを機に、立ち止まって考えるようになった。結婚や出産という選択肢が、身に迫ってきた。
「私は、子どもを持つ人生を歩みたいのか?」
「もう、年齢的に産めないんじゃないか」
「いや、まだ大丈夫」
身体的なリミットに近づいているというのに、答えの出ない問いが、頭の中をぐるぐると回った。
「焦りが募り、すごく不安になっていました」
これから恋愛をすることになっても、子どもの父親となる人かどうか、という視点でしか相手を見られなくなるような気がした。
本音は、ドキドキする恋愛を楽しみたい。「結婚や出産が、自由に生きるかせになっている」と感じた。
「もやもやするこの焦りを、少しでも和らげたい。考える時間の猶予が欲しい」
そんな時、インターネットで卵子凍結の情報を目にした。加齢とともに質が低下する卵子を、若いうちに採取・保存することで出産時期を遅らせ、女性の人生設計の幅を広げるとも期待される。
「今の卵子が一番若い。やるなら早いに越したことはない」。ためらいはなかった。
それに、自分が子どもを産めない年齢になることは、「一つの寿命を迎えるような感覚」もあった。それを、少しでも先に延ばしたかった。
突きつけられた、自分の年齢
「お子さんが欲しいのですね」。クリニックの診察室で、医師から確認された時は、ドキリとした。「将来、子どもを産むと仮定して、いろいろ動いていく。それまで自分の子宮や卵子と向き合わずにきたから、それだけで刺激的でした」
卵巣の中にある卵子の数の目安となるAMH(抗ミュラー管ホルモン)値や、年齢などから、将来子どもを1人授かるためには、麻子さんの場合、12・1個の卵子を凍結する必要があると試算された。
2022年4月と8月、計2回の採卵手術で、計21個の卵子が採れた。シャーレに入った卵子の写真をもらった。「少しホッとしました。将来、子どもができたら、これが一番初めのページに来るんだなって。不思議な気持ちになりました」
これまで明確でなかった「37歳である自分の子宮の状態や卵子の数」が数値化されたことも大きい。客観的に自分を理解することができ、結果的に焦りや不安が消えていた。
「私にとって卵子凍結は、自分の体と向き合うプロセスの一つでした。自分の妊娠率のピークはとっくに過ぎ、卵子の老化は止められない。それは事実だけれど、これまで楽しく生きてきた結果なのだから、しょうがないと、現状を受け入れる気持ちになれました」
卵子凍結に周囲の反応は
一方、自身の体験を話すと、友人や後輩など、周囲からの反応が大きくて驚いた。
女性だけでなく、男性や親世代からも質問が尽きず、関心の高さを感じた。「結婚相談所に登録したけれど、いい人がいなくて」「不妊治療していたけど、中断している」――。それぞれが今抱えている結婚・妊娠・出産にまつわる話も聞くようになった。
それらに耳を傾けるうちに、出産に興味が湧いている自分がいた。
「自分のおなかの中に子どもがいて、大きくなっていくって、どういうことなんだろう。まだ可能性があるのだから、チャレンジしてみたいと思うようになりました」
卵子凍結をしたことで、ドキドキする恋愛に再び前向きになれた。子どもを育てる未来も想像するようになった。
麻子さんは言う。「卵子凍結は、未来への投資だと思っていた。でも私にとっては、今の自分自身と向き合うことだったのかもしれません」
晩婚化が進み、健康な女性が利用するケースが国内でも広がっている。ただ、卵子凍結を巡っては学会の賛否が分かれる。元々はがん治療などで卵巣機能が低下した人が対象だった。
健康な女性の卵子凍結について、日本生殖医学会は「40歳以上は推奨しない」などと条件付きで認める指針を示している。
一方、日本産科婦人科学会(日産婦)は「健康な女性の利用は推奨しない」との見解に立つ。採卵時に卵巣出血などが起きる恐れ▽受精卵や胎児への影響が不明▽将来の妊娠・出産を保証できない――などが理由だ。
また、日産婦によると、体外受精1回当たりの出産率は34歳で20%。その後下降し続け、40歳で10%、45歳になると1%まで下がるという。卵子凍結は、将来の出産を保証するものではなく、採卵手術にはリスクもある。
東京都は少子化対策として、23年度から、卵子凍結にかかる費用を一部補助する。
健康な女性の卵子凍結は、自由診療となり、料金は施設ごとに異なる。一般的に、採卵回数や保存期間により、数十万~100万円以上かかる。麻子さんの場合、検査料や2回の採卵手術費、卵子の保管料など計約88万円がかかった。【大沢瑞季】
※この記事は、毎日新聞とYahoo!ニュースとの共同連携企画です。