「人生は舞台」 アンミカさんが人生の節目で励まされた言葉たち

大沢瑞季
大沢瑞季
幸せな結婚生活を送るタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影
幸せな結婚生活を送るタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影

 モデルでタレントのアンミカさん(52)が、自身が大切にしている名言を厳選した「スーパーポジティブ日めくりカレンダー 今日もアンミカ」(講談社)が好評です。一日の始まりに目にするとパワーをもらえる言葉の数々は、いずれも自身が人生の節目で励まされてきたものだといいます。アンミカ流ストレスとの向き合い方や、不妊治療を乗り越えた現在の夫婦関係について話を聞きました。【大沢瑞季】

「人生は自分で書き換えられる」

 日々、心に浮かんだ言葉や、知人からもらって励まされた言葉などを、日記に書き留めているというアンミカさん。カレンダーには、特に自身が力をもらった31の言葉を厳選しました。

 中でも、一番のお気に入りは「人生の脚本家は自分やで いつでも書き換えられる」です。

 「失敗した過去をずっと引きずっていたり、未来を憂うあまり“今”がおろそかになっていたりする人って多いですよね。でも、人生は舞台。そこから抜け出して、人生は自分で書き換えられるよ、大切なのは今だよ、ということを伝えたいんです」

完璧主義で失敗した過去

 「私自身、悩んできたからこのカレンダーを作れました」

 アンミカさん自身、陥りがちな心の癖があり、失敗を繰り返してきたと言います。

タレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影
タレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影

 「完璧主義で理想が高くて、周囲にも同じ熱量を求めてしまう癖があります。仕事がない時期が長かったので、頂いた仕事がありがたくて、完璧にやりたいと思うあまり、周りにもそれを求めてしまうのです。でもそれって、自分もしんどいし、周りもしんどい。全然ハッピーじゃない。カレンダーの言葉は、全部自分に向けてですね」

失敗したストレスも 感謝で学びに変えて

 アンミカさんには、毎日を前向きに送るために続けているルーティンがあります。それは「祈ること」と「感謝すること」。クリスチャンの家庭で育ったため、小さな頃から、食事や寝る前に祈る習慣があったといいます。

 「朝起きた時は、無事に起きられたことに感謝します。太陽がまぶしい、水がおいしい、そうした小さな一つ一つに感謝の気持ちを持つと、一日が幸せな気持ちで始められるような気がします」

 夜寝る前には、家に無事に帰ってこられたことに感謝する。きょう一日の出来事を振り返り、たくさんの支えがあったことに思いをはせる。アンミカさんによると、感謝する気持ちにはストレスを中和させる効果もあるのだとか。

 「例えば失敗してしまった時、自分を責めたり、誰かのせいにしたりするのは簡単です。でも、『一つの経験をさせてもらってありがたい』と感謝すれば、失敗も前向きな学びにできるんです」

充実した夫婦時間のコツ

 40歳で結婚したイベント制作会社を経営する米国人の夫とは、おしどり夫婦で知られています。

 過去の恋愛では、「前に言ったでしょ、なんでやってくれないの」などと相手を追い込む言葉を使って、たくさん失敗してきたと言います。

 「詰められたら、男性はごめんとしか言えず、女性から逃げ出したくなりますよね。過去の恋愛で失敗した分、夫には一度も言ったことがありません。相手が嫌がることはしないようにしています」

 今、帰宅後の夫婦の時間がとても充実しているそうです。

 「2人で必ず見る映画のシリーズがあって、それを楽しみにおつまみを買って帰ります。好きな映画の好みは全然違うのですが、夫が好きそうなアメリカンコメディー系の映画も1回見てあげるんです。そうしたら次は、私の好きな韓国映画を見てねというふうに、お互いに尊重することを大切にしています」

前向きで明るい性格で知られるタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影
前向きで明るい性格で知られるタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影

42歳からの不妊治療

 幸せな結婚生活を送るアンミカさんですが、不妊治療の末、子どもを授かることができなかった過去があります。

 結婚した当初、夫は「僕が子どものようなものだから、2人で人生を楽しみたい。子どもは欲しくない」と話していました。アンミカさんは子どもが欲しかったのですが、真剣に話し合うことなく、問題を先送りにしてしまったと言います。

 「結婚してから2年間、仕事や夫婦2人の生活を優先していました。私も夫も子だくさんの家系だったので、子どもができやすい体質だと思い込んでいたこともあります」

 その後、友人夫婦に子どもが生まれたことがきっかけで夫の気持ちにも変化があり、2人で真剣に子どもがほしいと思い始めました。でも、タイミング法から始めたものの、なかなか授かりませんでした。

 産婦人科で検査した結果、卵巣の中にある卵子の数の目安となるAMH(抗ミュラー管ホルモン)値などが低く、自然妊娠が難しい体質だと分かりました。

 人工授精のため卵子を採卵しましたが、どんなに誘発剤で刺激しても、1回に一~二つの卵子しか取れません。生理は順調に来ていたし、生理痛もない体質だったので、「まさか……何でもっと早く検査しなかったんだろう」と後悔しました。「新しい命を授かるということは、思い通りになるものではない」と身に染みたといいます。

計7回の流産でわかった不育症

 不妊治療をしていた時期は、朝の生放送のレギュラー番組に出演していました。生放送の直前まで、病院で全身麻酔をして採卵手術に挑んだものの、もう既に排卵してしまっていて、卵子を採取できなかったことも何度かあったといいます。

 「1回の採卵にかかる費用も高額なので、経済的な負担も大きいですし、1カ月の間、採卵のためにスケジュールを一生懸命調整してきたので、期待感が裏切られる度にどれだけショックだったか……」

 苦労の末、ようやくできた受精卵は、すぐに着床。だが、喜んだのもつかの間、すぐに流産してしまいます。「計7回、着床しても赤ちゃんが育たずに流産を繰り返しました。私が不育症だったんです」

 46歳の時、女性ホルモンを投与していた影響で体におできができ、放射線治療をすることになりました。ですが、放射線治療をしている間は、卵子を採取できません。それが不妊治療終了の合図になったといいます。

 「ここで無理して進むべきじゃないと神様がストップをかけてくれたんだな、と受け止めました」

子どものいない人生 「これも運命」

毎日を前向きに過ごすコツについて話すタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影
毎日を前向きに過ごすコツについて話すタレントのアンミカさん=東京都渋谷区で2024年8月26日、内藤絵美撮影

 不妊治療は断念したものの、子どもへの思いは諦めきれず、代理出産を実施している米国に渡りました。「遺伝子検査をして、分厚い書類を読み込んで、やっといい代理母さんにめぐり会えたと思ったら、その方が代理出産を禁止している州に引っ越してしまったんです。もう、本当にすごい苦難続きでした」

 また別の代理母を見つけたものの、受精卵を着床させる1週間前に、代理母が血液検査にひっかかるトラブルが起きました。「彼女は看護師になるために試験勉強をしていて、記憶力アップのために飲んでいた薬が検査にひっかかってしまいました」

 不妊治療も代理出産もうまくいかず、子どもを授かる道が断たれました。「全部、手は尽くしました。これも運命です。でも、ベストを自分なりに尽くしても、どうしようもない時は、違う幸せの形があるんだと思えるようになりました」

 今、アンミカさんの周りには、たくさんの慕ってくれる後輩がいます。また、明るくポジティブなキャラで知られ、人生相談したい芸能人ランキングにも名前が挙がります。

 「子どもがいたら、今とは違う仕事の形だったかもしれない。命を育むことはとても素晴らしいこと。と同時に、愛する人とゆっくり向き合っていられることも、同じくらい素晴らしい! 私は今とても幸せ。今はこれでよかったと思っています」

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